お笑い集団「大川興業」に見習いとして在籍していた過去が明らかになった民主党の田中美絵子衆院議員(33)。
大川豊総裁(47)が、沈黙を破り渦中の“弟子”を初めて語った。
「彼女は『小沢ガールズ』である前に『大川ガールズ』だった」と主張する総裁。
通り一遍の謝罪コメントを繰り返す田中氏に対し、舞台で「亀甲縛り」を披露するなど、どんなことにも恥じることなく挑戦した「あの頃を思い出せ」とエールを送った。
あれは、確か2001年2月のことだった。田中…いや、当時は(結婚していたため)まだ菊地美絵子さんだったわけだが、作家志望ということで大川興業のオーディションを受けにきた。ダンディ坂野やカンニング竹山など、新人発掘には定評のある寺田体育の日が、面接を担当。
彼女の志望動機は「文章で人を喜ばせてみたい」。かつて、いじめを受けた経験などから、自分自身に不安があり「自分を変えたい」との思いがあったようだ。
合格はしたが作家“見習い”なので、当然ノーギャラ。うちは入ってきた人全員に「人のために汗をかけ」と言う。菊地も例外ではなく、けいこ場のぞうきんがけやトイレ掃除もやっていた。 本人にとっては刺激的な毎日だったと思う。スクリーンを縫っていたのが、手にミシンをかけてしまい、救急車で運ばれたこともあった。
風俗ライター時代に特技を「亀甲縛り3分」と公表していたことが、すでに報じられているが、最初の相手はうちの若手です。ある舞台で暗闇の中、「光るロープで亀甲縛り」という演出があり、同じ頃にいた若手芸人を相手に練習を重ねていた。書き手も演者の気持ちを知るべきという考えから、作家も舞台に立つ経験をするのが、うちの慣例。
菊地はジャージーに赤い上履きで、別の女の子とたしか「女2人」というコンビを組み、その時は自分が書いたネタをやったはず。当時、オレたちが舞台で「土瓶、茶瓶、ビンラディン」というネタをやっていたところ、米で同時多発テロ(01年9月11日)が起き「ビンラディン」が、突如クローズアップされた。そこで菊地は「大川興業はすごい」と、衝撃を受けたようだ。
「悩む前に動け」が大川興業のモットー。政治の取材現場にもついてきていたから、その頃から政治に興味を持っていたのだろう。経歴をいろいろと報じられていますが、当時の印象では、説明から逃げる人ではなかったはず。
大川興業に参加する際も、ヌードを披露した映画「盲獣VS一寸法師」に「監督にほれ込んで出演しました」と明らかにして入ってきた。我々も「それはいいことだ。堂々とやれ」と応援していた。
大川興業を辞めて風俗ライターに挑戦する際には、メールで相談を受けた。「AV嬢が使い捨てになったり、風俗嬢が組合を作れずにいる業界の問題点にも目を向けるべき」とアドバイスしたはず。今回の「コスプレ風俗ライター」報道にも、そういう視点を持っていたことを説明し、堂々とすべきだった。
小沢ガールズ田中美絵子がヌードに→ 【画像】
田中美絵子がヌード出演!
「盲獣VS一寸法師」